2014年11月23日

外国人に人気の日本の最新お土産

昨晩、朝日放送(テレビ朝日系)午後11時15分からのスマステは
「外国人に売れている日本の最新お土産13」を発表していました。

外国人のお友達が日本に来られたり
或いは海外へ行く時のお土産として参考にして下さい。

@フリクションボールペン、色・種類が豊富
Aパンティストッキング、種類が豊富、丈夫で伝線し難く暖かい
B筆ペン、漢字を書いたり、或いは誕生日などの特別な時に使って字を書きたい

Cスナック菓子、安くてうまい 例:うまい棒
D爪切り、よく切れ、切った爪が飛び散らない
Eお弁当箱、自分で弁当を作り学校に持って行ってみんなに見せたい

Fキットカット、 抹茶が特に人気で、日本には海外にないキットカットがある
Gはんこ、名前を漢字表記した自分のはんこを使いたい
H折りたたみ傘、3段折で小さくなり自動で開いたりする

Iカプセルトイ(ガチャガチャ)、何が出てくるか分からないし、おもちゃが精巧に出来ている
J炊飯器(象印・タイガー)、美味しく炊ける、一緒に売れているのが温水洗浄器
Kわさび 例:柿の種のわさび味 海外では味わえない
L地下足袋 忍者の履くものとしてカッコイイ、歩きやすい

ダイソーの100円ショップは外国人に人気があり、
抹茶味のお菓子、ピーラー、衣類圧縮袋がよく売れるベスト3である。





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2013年02月23日

映画「東ベルリンから来た女」を見て

一昨日京都シネマで「東ベルリンから来た女」というドイツ映画を見ました。
この映画は東ドイツの首都東ベルリンの病院から
地方の病院に飛ばされた女医さんが
恋人のいる西ドイツに脱出しようと企てるのですが
最後に予期せぬことが起こるというサスペンス映画でした。

昔私は西ベルリンに出張したことがあり
休日に東ベルリンを観光するバスに乗車しました。
バス乗り場では読売テレビの二人の方に会いました。

私は日本語の解説付きのバスに乗るつもりが
間違って英語で案内するバスに乗ってしまいました。
バスの中で男性のバスガイドがパスポートを確認し
東ベルリンを刺激する新聞雑誌などを持ちこまないように
説明していましたが私にはよく英語が理解できませんでした。
寒い冬の1月下旬でしたので観光客は定員の5分の1もいませんでした。

ベルリンの壁を挟んで東西に緩衝地帯があり
多分西側だったと思いますが川がありました。
川のそばには東ベルリンから脱出の途中に見つかり
銃殺された人を忍んで花束が置かれていました。
バスが緩衝地帯からベルリンの壁を抜け東ベルリンの緩衝地帯に入ると
監視所があり銃を抱えた兵士たちが厳重に警戒していて
遮断機が下りている手前でバスが止まりました。

すると二人の兵士がバスに乗り込んで来ましたので
車内には緊張感が張り詰めました。
彼らはパスポートをチェックして座席の下などを調べ
バスの外では先端に鏡の付いた長い棒を持った兵士が
バスの下に鏡を入れてバスを隅から隅まで調べました。

そして何も問題がないことが分かると
緩衝地帯を抜けてバスは東ベルリンに入って行ったのです。
冬の曇り空の天気でしたが
西ベルリンは明るくて華やかで自由な雰囲気が街中にあふれていて
一方東ベルリンは暗く陰気で抑圧されたような感じがありました。

映画の中でも女医さんは秘密警察から監視されていて
その中で彼女は西側に脱出する資金を仲間から得るために
居住地域から離れて電車に乗って隣町のレストランに行き
トイレでウエイトレスから資金を渡されて町に戻り
墓地にお金を隠して帰宅すると
秘密警察が突然訪ねてきて自宅の中と彼女の肉体を調べました。

その後再び秘密警察が彼女の自宅を捜査する場面では
女性監視員が彼女の髪を解き髪を調べた後に
ゴム手袋をはめ裸にした彼女の脚を開かせ
女性の大事な部分まで調べました。

映画では地方の田舎町が舞台でしたので
それほど暗い雰囲気はありませんでしたが
秘密警察に監視されているという抑圧感はありました。

当時の東ベルリンの状況を知るためにこの映画を見ましたが
日本も第二次世界大戦による敗北で
ソ連が北海道を抑えて南下していたら
日本も東西ドイツや韓国と北朝鮮のように
分断されていたかもしれません。


posted by 上杉鷹山 at 16:40| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年01月18日

アラブ人の植毛

1月16日付け毎日新聞朝刊の発信箱の
欧州総局小倉孝保さんの記事が
面白いので紹介します。

私は繊維貿易の輸出で中近東を相手に取引し
現地に何回も滞在していましたので
この記事のことがよく理解できます。

インドから中近東や北アフリカ地域のイスラム圏において
男性はひげを生やしていますので
私も滞在中は鼻下のひげを生やしていたことがあります。

それでは記事を読んでみてください。

このところトルコで植毛するアラブ人が増えているらしい。
頭髪ではなくひげの植毛である。

先日の英紙ガーディアンによるとこの現象は2年ほど前から。
今では1日50人以上のアラブ人が植毛にやってくる。
「顧客」の中心はサウジアラビアやクウェートなどの湾岸産油国の30〜50歳。
多くは頭髪をあごや鼻下に移植するやり方。
観光と合わせた植毛ツアー(4日間約20万円)も人気だ。

アラブ諸国ではひげは男らしさや精力の象徴。
濃いひげがステータスシンボルになる一方
薄い場合ビジネスでもマイナスになることがあるという。

かつて中東特派員としてたびたび湾岸諸国を訪れていたが
成人男性の多くが見事なひげをふさふさとたくわえていた。
威風堂々たる振る舞いの裏で薄毛に悩んでいる人がいたとは知らなかった。

面白いのは植毛ツアー人気が単にトルコの医療水準の高さのためでなく
最近の国際関係もその人気に一役買っていることだ。
03年に就任したトルコのエルドアン首相は外交方針を
欧州志向から全方位外交に転換しアラブ諸国との関係を強化した。

また国内では政権批判ジャーナリストを投獄するなど
強引な手法でも非難を受ける首相だが
アラビア語を話しイスラエルに強い姿勢をとる
首相のアラブでの人気は高い。

米同多発テロ後イスラム教徒が欧米への旅行を敬遠したことに加え
こうした首相人気が観光に影響
アラブ諸国からトルコへの観光客は
01年の約70万人から11年には400万人を突破。
ひげ植毛人気もこの延長線上に位置づけられる。
国家指導者の姿勢や国際関係はときには市民生活に直結する。
トルコのひげ植毛人気が改めてそれを教えてくれているように思う。

以上

この世には脇の毛を剃る女性がいて
一方ではひげを植毛する男がいるのです。
日本の女性たちは脇や脚の毛を脱毛するのですから
彼女たちの黒い脇の毛を中東の男のひげに植毛できないのでしょうか?
posted by 上杉鷹山 at 11:58| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月30日

脱毛の日本女性と着毛の香港女性

夏が近くなり女性が薄着になってくると脱毛エステの広告が目に入ります。

真夏になると通勤電車や街の中などで女性たちのノースリーブ姿が多くなり
満員電車の中で女性たちが吊革を持って私の座席の前に立っている時には
彼女たちの脇を見ると綺麗に脱毛されています。

特に若くて綺麗な女性の脇を見たりすると
逆に毛が生えていたら色っぱいだろうなと私は想像してしまいます。

ところが私が20年程前に香港に駐在した時ですが
香港の女性たちは脱毛していないのにびっくりしましました。

地下鉄・バス・フェリーの中で香港の女性たちを見ると
彼女たちの脇の毛が嫌でも目に入ってくるのでした。

一般的に言って香港の女性は中国系と言うよりもベトナム系に近く
顔はぶさいくで鼻は低く体型も美しくありません。

そのような女性たちに堂々と脇の毛をを見せられると
私は見たくないものを見せられているような感じでした。

香港には本当に綺麗な女性がいませんでした。

脱毛している日本女性だから
私は毛が生えていたら逆に色っぽいと想像してしまうのでしょう。

香港のビデオショップには日本のアダルトビデオがたくさんありましたが
香港の女性は脇の毛を見せながら裸にならないので日本女性の裸があふれています。
でも香港の男性が日本女性の裸を見たい気持ちが良く分かるような気がします。






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2011年04月27日

サウジアラビアという国

このブログでサウジアラビアのことを何回か書きましたが
昨日26日の毎日新聞朝刊の「発信箱」は
ジュネーブ支局の伊藤智永さんの「砂漠のヤバーニ」という記事でした。

その記事を読みサウジアラビアは今も全く変わっていないと思いました。
記事の内容は次の通りです。



サウジアラビアを回った。 さる旅行案内書によれば「北朝鮮より入るのが難しい」
宗教国家で巡礼のイスラム教徒を除き観光を原則認めていない。

モスクなどの写真撮影は厳禁。 一日5回の礼拝時は店が全部閉まる。
女性は頭から全身を黒布で覆い食堂で男性と同席できない。

宗教警察が見回り入国カードには「麻薬持ち込みは死刑」とあった。
緊張を強いられしかも日本人は珍しいから歩いていると
木陰や窓辺、広場の一角から鋭い視線を受ける。

こちらから「アッサラーム」(こんにちは)と寄っていくが
すぐに魔法の呪文を知った。

「アナ・ヤバーニ」(私は日本人です)これが効果絶大である。
途端に相手は相好を崩し「オオ、ヤバーン(日本か)、
トヨタ、ソニー、ナバーワン」と冗舌になる。

世界中で日本の好感度は高いが格別な印象だ。
「地震、津波は大変だったな。でも日本なら大丈夫だ」続く。

写真を撮らせてと頼むと「ノープロブレム!」。
日系企業現地法人の代表・副代表で共に滞在歴通産11年の
Tさん(59)とKさん(52)が解説してくれた。

サウジ人は親しくなるとある日おもむろに切り出すらしい。
「仲良くなったんだからそろそろ秘密を教えてくれ。

日本はヒロシマ、ナガサキに原爆を落とされたのにどうやって世界一になったんだ」
この「ヤバーニ神話」話の前段が「敗戦」ではなく
「ヒロシマ、ナガサキ」である点が微妙な勘所である。

当惑した2人は答えるそうだ。 「働け、働け、働け」。
Tさんは福島県出身。 Kさんは約20年前福島第2原発で半年間研修を受けた。

「フクシマは次の日本の強みにできる。 するしかない」。
砂漠のヤバーニはたくましかった。




以上が記事ですが私が当時現地で感じたことと全く同じなのです。
サウジアラビア人は日本に対しては絶大な信頼を持っているのです。


posted by 上杉鷹山 at 10:41| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月27日

バグダッド

私はイラン・イラク戦争の時にテヘランを訪れましたが敵国のバグダッドも訪れました。

今まで海外出張では飛び込みでホテルに泊まったことが何度もありましたので
バグダッドも宿泊に関しては問題ないと思ったのが大間違いでした。

私はサウディアラビアのジェッダからバグダッドのホテルを予約しようとしましたが
全く通じず予約なしにバグダッドに向かったのです。

ジェッダからバグダッドへは直行便がなくヨルダンのアンマン経由になりました。

私は早朝ジェッダを出発してアンアンに午前10時頃に着き空港を出て
アンマン市内のホテルにチェックインして夜まで時間を過ごしました。

私は午後10時頃に空港へ行き午後11時頃にバグダッド行きの便に乗りました。

戦時中でしたのでバグダッド空港の発着は全ての便が真夜中に集中していました。

私の乗った便は午前0時過ぎに空港に到着し私は入国手続きを終え
タクシーに乗ったのは午前1時を過ぎていました。

1月下旬でしたがアラビア半島のジェッダは灼熱の太陽が輝く真夏の暑さで
一方到着したバグダッドは真冬で寒かったのです。

空港の建物を出てタクシーに乗ると戦時中のため周りは全て消灯されていて真っ暗で
月の明かりとタクシーのヘッドライトだけを頼りに
タクシーは暗闇の中をバグダッド市内に向けて走りました。

途中月の明かりでチグリスユーフラテス川の水面を見ることが出来ましたが
周りの景色は暗くて全く見えなかったのです。

ホテルと言っても私はJTB発行の中近東ガイドブックに載っている
代表的なバグダッドホテル1つしか知らなかったので

そのホテルを目指し午前3時前頃に着きフロントへ行こうとすると
ホテルにディスコがあるのか音楽が聞こえてきました。

私はここに泊まれるのなら安心と思ったのですが全室満室と言われてしまったのです。

タクシーの運転手もバグダッドはどのホテルも満室状態で空き部屋がないと言いました。

でも運転手は知っているホテルがあると言うのでそのホテルにタクシーを走らせましたら
一部屋だけ空きがあり今日の午前10時までなら泊まることが可能という返事でした。

仕方がないので私は午前4時頃にチェックインして午前10時にチェックアウトする条件で
その部屋に泊まりベッドに入り横になったのです。

その部屋はその日イタリア人が泊まる予定でしたので
私の滞在できる時間は6時間しかなく次のホテルを探さなくてはなりませんでした。

その当時バグダッドはホテルの宿泊施設が不足していたのに
多くの建設関係の外国人たちが復興に向けてバグダッドに働きに来ていたのです。

私は午前6時に飛び起き市内の何軒かのホテルに当たりましたが全くありませんでした。

途中二人連れの日本人にばったり出会いましたが
彼らも部屋探しをしていて全く見つからないとのことでした。

腕時計を見ると午前10時になるので至急ホテルに戻ってみると
何と私の大きなトランク4個がロビーの床に放り投げられていたのです。

会社の先輩から大学のゼミ仲間が大手商社のバグダッド支店で勤務しているので
機会があれば会ってみるようにと紹介されていましたが

その日は金曜日でイスラム社会では日曜日に当たり勤務先に訪ねて行くことも出来ず
私の取引先との連絡も取れませんでした。

外は寒く泊まれる部屋を探さないと風邪を引いてしまうと思いましたが
私はどうしたらよいのか分からず呆然としていたのです。

冬の夜空の下で野宿しかないのかと思うと泣きたくなってきました。

そしたらホテルで働くご老人が突然私に声を掛けてきて
一緒にホテル探しを手伝ってあげようと言ってきたのです。

ご老人は古い小型トラックに私と荷物を載せ郊外に向かって走り
彼の知っている空いていると思ったホテルに私を案内してくれたのですが
そこも残念ながら満室でした。

しかし幸運なことに物置代わりに使っている壊れた部屋が離れにありましたので
そこに私は泊めてもらうことにしたのです。

もちろんシャワーや風呂はなく暖房もなくお湯も出ない部屋で
足を洗おうと洗面台に片足を上げると洗面台が倒れてきました。

部屋は寒かったですがなんとか寝ることが出来る場所を確保できほっとしました。

そのホテルは安宿でルーマニアから来た大勢の建設現場労働者が泊まっていて
彼らはロシア人が被る毛皮の丸い帽子を被っていました。

私はご老人の親切に本当に助けられました。

ホテルの人は私に若いから酒を飲んで体を熱くしてすぐ寝ればよいと言いましたが
バグダッドはイスラム社会なのにキャバレーもあり酒を自由に飲めるのにはびっくりしました。

翌日大手商社の支店を訪ねましたら日本航空でホテルを紹介してもらおうと言われ
二人で日本航空の事務所に行き現地女性社員に探してもらいましたが
空き部屋のあるホテルはどこにもありませんでした。

一週間後のバンコック行きの便に乗るまで
私は物置に使われていた寒い部屋で寝泊まりをしたのです。

バグダッド市内では戦場に向かう多くの兵士たちを見かけました。


posted by 上杉鷹山 at 17:26| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月16日

ドバイでのキス

私は30代の頃にドバイへ何度も出張していました。

イスラム教ではアルコールの飲酒は禁止されていますが
ドバイではホテルの中だけは可能でした。

昔ドバイはイギリスの保護領だった関係もありイギリス人を多く見かけました。

私の泊っていたホテルのレストランでは
毎晩ボーカルの若いイギリス女性二人を含めたイギリスのバンドが演奏していて
まるでロンドンのクラブにでもいるような感じでした。

週末の夜私が食事をしながら演奏を聴いていたのですが
時間が経ってくるとイギリスの若者たちがぞくぞくと入店してきて
飲酒している若い男女でいっぱいになりました。

ドバイの航空会社の航空機を利用すると
客室乗務員としてイギリス女性たちが勤務しているのを目にしていましたが
彼らたちは昼間ドバイでどんな仕事をしているのかと思ったものです。

若者たちがアルコールを飲めばいろいろ問題が起きるのではではないかと
当時から思っていましたがやはり問題が起きているのです。

今日の毎日新聞朝刊に「レストランでキスに禁固1月」という見出しで
下記のようなカイロ共同の記事が載っています。


アラブ首長国連邦(UAE)ドバイで英国人の男性(24)と女性(25)のカップルが
「公の場でキスした」などとして昨年11月に一時逮捕され
今年1月裁判所から禁固1月の判決言い渡されていたことが14日分かった。
ドバイ英字紙ガルフニュースなどが伝えた。

ドバイは多くの観光客を受け入れているが
地元住民は保守的なイスラム教徒が中心で
公の場で性的と受け止められる行為は禁止。

同紙などによると2人は「あいさつとしてほおにキスしただけ。
唇には触れておらず違法ではない」として同日上訴した。

ドバイの海岸近くのレストランで2人が酒を飲んでキスをしているのを
地元女性らが目撃し当局に通報。
その後釈放されたがパスポートを取り上げられているという。



私が滞在していた当時と現在とでは時代がかなり違いますが
ドバイへ行けばやはりここは中近東のイスラム教の国であることを
よく認識しておくことが大事ではないでしょうか。

posted by 上杉鷹山 at 17:36| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月13日

サウジアラビアのバレンタインデー

昨年9月29日の私のブログでもサウジアラビアのことを書きましたが
今日の毎日新聞夕刊のサウジアラビアの記事を読み
サウジアラビアらしいと思ってしまいました。

夕刊の記事の見出しは「バレンタイン連想、赤い商品一斉摘発、
サウジ宗教警察」というカイロ共同です。
記事の内容は次の通りです。



キリスト教に起源をもつバレンタインデーは「ご法度」。

イスラム教聖地を抱えるサウジアラビア宗教警察(勧善懲悪委員会)が
11日、14日のバレンタインデーを連想させる「赤いバラ」などの赤い色の商品の摘発を
全国一斉に始めた。 
AP通信などが報じた。

サウジは女性の車の運転が禁止されているなどイスラム諸国でも最も保守的な国。
サウジ当局者によると宗教警察が巡回を強化。

赤いバラやハート形のグッズ、贈り物の赤い包み紙などを店頭から撤去するように指導
ホテルやレストランに特別の飾り付けをしないよう命じている。

宗教警察は「従わない者は処罰する」と警告している。
ただ、こうした商品はバレンタインデー以外の時期には販売が許されているという。



私は何度も長期出張でサウジアラビアを訪れたことがありますが
中近東旅行ガイドブックに写真を撮る場合
特に女性にカメラを向けないように注意することが書かれていたため
出張中に問題を起こしたくないので写真を撮ることがありませんでした。

滞在中はいつもどこか緊張感がありサウジアラビアを離れ
シンガポールまで戻ってきた時には本当にほっとしたものです。
posted by 上杉鷹山 at 19:24| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月23日

ドミニカの女性

ハイチで大地震が起こりテレビでハイチの地図が示されると
ハイチ共和国は西インド諸島のイスパニューラ島西部で
東部はドミニカ共和国になっています。

ドミニカと言えばアメリカのメジャーリーグで活躍している野球選手が多く
広島カープはドミニカにカープアカデミーという学校を作り人材の発掘を目指し

また日本のプロ野球で活躍しているドミニカの選手もいますが
ドミニカは日本からは遠いカリブ海の国です。

何年か前に私は自宅に帰ろうと近鉄京都駅で電車に乗ると
黒人の可愛い女性が座席に座っていました。

私は彼女の隣に座り電車が動き出して少し経った頃に
彼女にどこの国から来ておられるか尋ねましたら
ドミニカから来ているとの返事でした。

ドミニカから日本に来て何をされているのか知りたくなりましたので更に尋ねましたら
奈良県生駒市のけいはんな(京阪奈)学研都市にある
国立の奈良先端科学技術大学院大学で学んでいるとのことでびっくりしてしまいました。

彼女としばらく話をして私は途中で下車しましたが
彼女の外見からは大学院で勉強しているような学生に見えず
可愛い女の子という感じだったのです。

日本にはいろんな国から留学生が来ています。


posted by 上杉鷹山 at 16:49| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月29日

サウジ初の男女共学大学開校

9月25日の毎日新聞朝刊に「サウジ初の男女共学大学開校」という見出しで
記事が掲載されていました。

サウジアラビアにはメッカ・メディナというイスラム教の聖地があり
イスラム教の中でも最も戒律が厳しい国で保守的な伝統を持ち
男女別学で宗教教育が実施されてきました。

その国で同国初の男女共学のキング・アブドラ科学技術大学が
ジッダの北方約80kの紅海岸の町スワルに開設され
開校式典が23日に行われたという記事を見て驚きました。

私がサウジアラビアの商業都市ジッダに何度か長期出張で
滞在していた頃には考えられない出来事です。

私の乗ったアテネ行きのJALがジッダ空港に到着したら
客室乗務員が「これから官憲が機内に入ってきますので
特に雑誌(女性の裸)などが官憲の目に入らないように隠してください。

万一見つかり問題が発生しても日本航空は一切責任を持ちません」と
アナウンスしていました。

私はジッダで女性特に現地女性と話をした記憶がありません。

女性の顔姿を見たのは現地で働いているインド人の奥さんであるインド女性、
看護婦・お手伝いさんなどをしているフィリッピン女性などぐらいでした。

サウジの現地女性たちは黒い布を被っていて顔が見えず
お客さんの家に食事に招待されても

台所にいる顔を隠した奥さんがちらっと見えるだけで
私たちの前には決して姿を現しませんでした。

バスは男女別の乗降口で真ん中で仕切られています。

女子中高の下校時に黒い布で覆った大勢の生徒たちに出会うと
カラスの大群が校門から出てきたような感じでびっくりします。

アルコール類は一切禁止で酒は飲めず偶像崇拝禁止なので映画館もなく
1日5回お祈りをして男女とも民族衣装を着ている国なのです。

お祈りの時間になると宗教警察がムチを持って街を見回り
商談を中止させて店を閉めお祈りに行かせるのです。

断食・巡礼などの行事があり断食になると
昼間は休んで夜間に働き日中は口には何も入れることができず
外国人は現地の人に見つからないように隠れて食べなくてはなりません。

私は両替所で香水を付けたフィリッピン女性の後ろに並んだ時には
禁欲のためか香水の匂いでくらくらとしたこともありました。

ましてやそこで女性を触ったとなると
警察官に捕まり牢獄にぶち込まれてしまいます。

街頭では警察の車が待機していて抜き打ちで調べ
アフリカやイエメンなどの近隣諸国から不法入国した人を見つけては
車の檻の中に強制的に収容し連行していくのです。

そのような国に男女共学の大学が開校したとはサウジにも変化があるのです。
posted by 上杉鷹山 at 22:21| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月17日

マドリッドの女性

朝日放送(テレビ朝日系)では毎日午後11時過ぎに5分間ほど
世界の車窓」という海外の鉄道を紹介している番組がありますが
現在スペインの鉄道が放映されています。

このスペインの風景を見ていると私はローマで会ったマドリッドの女性を思い出すのです。

私がローマでレストランに入った時にイタリア語のメニューが読めなくて困っていたら
隣の席にいるニューヨークの男性が声を掛けてきました。

彼はマドリッドの女性と一緒に食事をしていましたが
二人の関係はどんな関係か知りませんでしたし尋ねもしませんでした。

三人でいろいろ話をして私は彼女にスペインに行ってみたいと言いました。

その後二人は食事を終えてレストランを出て行きました。

ところがしばらくすると突然彼女が戻ってきて
「マドリッドに来たら私に連絡して」と言って
紙切れに住所・名前・電話番号を書き私に渡して再び出て行きました。

帰国後私は早速彼女に手紙を書きましたらすぐに返事が来ましたが
会社員でしたのでスペインに行く機会がないまま
20年近くの年月が経ってしまいました。

あの綺麗なマドリッドの女性は今も私を覚えているのでしょうか?
スペインに行ってみたいです。


posted by 上杉鷹山 at 14:05| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月30日

イラン

初めてイスラムの国に行ったのはイランです。

イラン・イラク戦争の時でした。

日本からロンドン・フランクフルト経由で
テヘラン空港に午前7時頃に着きました。

そして入国審査の列に並んだのです。

同じ飛行機に乗っていたヨーロッパ帰りのイランの若い女性たちは
欧米の若者と同じような衣服でしたが

辺りを見回すとそのような女性は全くいず
彼女たちは真っ黒なチャドルを着て現れたのです。

周りには銃を装備した兵士たちが警備をしていました。

入国審査に信じられないほどの時間がかかりました。

入国者のトランクを一つずつ開けて調べていくため先へ進まないのです。

やっと私の前の英国女性の番になると彼女は下着などの衣服の入ったトランクを開け
検査官がトランクのあっちこっちに手を入れて調べました。

私も織物などの生地見本などが入った3つの大きなトランクと
100枚のデザイン画の入った大きなカバン
そして私の個人用のトランクなどを全て開けて調べを受けました。

検査官はJALの機内用雑誌まで取り上げて
1ページ1ページめっくって調べいき
有名な女性のテニス選手の写真に目が止まりました。

女性テニス選手は肌を露出していますので
検査官はそのページを全部破って雑誌を返してくれました。

それから一人一人別室に連れて行かれ持ち込むドルの金額を調べました。

当時イランでは外貨持ち出し禁止になっていましたので
出国する時にどれだけのドルを持って出るのか調べるためでした。

検査官が持ち込むドル金額をペルシャ語でパスポートに記入しておき
出国する時にドルが減っていれば問題ありませんが
増えていれば出国できなくなる可能性があるのです。

そんなこんなで時間がかかり私を待っていた会社の同僚に会えたのは
午後2時近くになっていました。

入国審査に約7時間かかりました。

空港からカルチャーショックで
それが私のイスラムの国との付き合いの始まりでした。
posted by 上杉鷹山 at 15:27| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月29日

ドイツ・ボンでの Small world(3)

私が30代の半ば頃の話です。

ある時私は会社の同僚から高校の同級生が
フルブライト奨学生としてドイツに留学するので
昨日送別会を開いたという話を聞きました。

それから4・5年後私はサウディアラビアのジェッダから
フラントフルク経由でベルリンに1週間出張しました。

ベルリンでの仕事を終えサウディアラビアに戻るため
ケルン経由でボンに行き
サウディアラビア大使館でビザの申請をしたのです。

ビザ発給まで1週間かかりますので
私はボンの町を見物して時間を過ごしました。

ある日町を歩いていましたら
突然金閣寺のポスターが目に入ったのです。

それはボン独日協会のポスターでした。

そのポスターには協会にご関心のある方は
参加くださいと書かれていましたので
2日後に私は協会の集まりに参加したのです。

協会の部屋には大きな日本地図が掛けてあり
日本の本がたくさんありました。

会員たちは日本の大学或いは政府関係やビジネスで
日本に駐在された方たちで全員ドイツ人でした。

私は会員の方から後から日本人が一人来ますので
紹介しますと言われました。

しばらくしてその日本人男性が現れました。

彼はボン大学の留学生(京大理学部大学院出身)でした。

そこで私は彼といろいろ話をしましたら
彼の友人も神戸で私と同じ貿易の仕事をしていると言うのです。

彼と更に話を続けましたら
どうも私の同僚ではないかと思えてきましたので

彼に友人の名前を尋ねましたら
まさしく私の同僚ではないですか。

目の前にいる留学生が以前私の同僚が
ドイツ留学のために送別会を開いてあげた人物なのです。

ドイツ留学といってもどの大学に留学したのか聞いていませんでした。

私がサウディアラビアのビザを申請するために
たまたま立ち寄ったボンに
留学していてそこで出会うとは驚きでした。

世界は広いようで狭いのです。
posted by 上杉鷹山 at 10:58| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月25日

ルフトハンザ航空の機長

昨年の12月のある日私は大阪・梅田のヒルトン近くにあるカフェ
シアトルベストコーヒーで知人と話をしていましたら
隣の席に30代ぐらいの欧米人の男性2人が座りました。

座ると1人はPCを使いもう1人は英語のガイドブックで
京都の観光地を調べ始めました。

私は2人の服装から判断しててっきり旅行者だと思いました。

しばらくして知人がトイレに行くために席を立ちましたので
隣の外国人に声を掛けてみましたら

2人はヒルトンに宿泊している
ルフトハンザ航空の機長と副操縦士でした。

少し話をしていたら機長が突然PCの画面を私に見せてくれました。

画面には赤ちゃんが床を這い回っている姿があり
機長が画面に向かって話し始め
PCから女性の声が聞こえてきました。

そしてこの子は私の子供で話している相手は奥さんとのことでした。

赤ちゃんはどこにいるかというと
フランクフルトの自宅だというのです。 

驚きました。

大阪の街角のカフェからドイツの自宅にいる
赤ちゃんの様子を見ながら
奥さんと話が出来るとは便利な世の中になったものです。
posted by 上杉鷹山 at 23:56| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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