2009年01月31日

ミス・インターナショナル日本代表になった女子大生

私が長野に転勤になった1998年4月の2・3カ月ぐらい前の仙台のある朝のことです。
私は通勤途中に長身で綺麗な若い女性が自転車に乗って
私の前を通り過ぎたのを2度見かけました。

彼女は急いでいました。
あまりにも綺麗な女性でしたので
私は何をしている人なのかと思ったのです。

4月になり長野へ転勤になる第1週目の最後の週末に
私はいつものようにスポーツクラブのプールに泳ぎに行きました。

泳ぎ終わり今日で最後でしたので
会員カードとロッカーのキーの返還に受付に行くと
通勤途中に見かけた綺麗な女性がそこにいたのです。

そこで私は彼女に朝2回見かけたことを伝えますと
彼女は「私は農学部(東北大学)の学生で
朝マウスの世話をするために自転車で急いでいました。
最近受付のアルバイトを始めました」と言ったのです。

それを知り私はこのまま仙台にいたかったのですが
そういう訳にもいかないので長野へ転勤したのです。

それから2年後に私は東京に転勤になり4ヶ月過ぎた頃です。
会社の先輩と私の2人は仕事を終えて大田区池上にある会社の寮に帰るため
京浜東北線のJR蒲田駅で下車して東急電車に乗ろうと歩いていくと
1両目の車両のドアから座席に座っている綺麗な女性が目に入ったのです。

私は何処かで見かけたことのある女性だと思いながら
電車の1両目に乗り彼女の前を通り過ぎて2両目に行こうとしましたら
先輩がその女性と一人分空けて座席に座ってしまったのです。

そこで私は引き返して先輩と彼女の間に座りました。
電車が動き出して私は彼女をチラッと見ながら
何処かで彼女に会っていると思いました。

ファッションモデルでもないし長野では見かけたこともないし
神戸なら綺麗な女性がいるので神戸かと思いましたが

神戸でもないし東京に来てまだ4ヶ月なので
そのような女性には会っていないしいくら考えても思いつきませんでした。

過去に出会ったことのある綺麗な女性をいろいろ思い出し
やっと仙台のあの女性だと気づいたのです。

そこで私がその女性にあなたは仙台に住んでおられませんでしたかと
尋ねましたら彼女は黙っていました。
それは当然です。

見知らぬ中年の男性が突然声をかけてきたのだから
彼女は驚いたことでしょう。

それから私は彼女に東北大学農学部やスポーツクラブのことを話しかけましたら
やっと首を縦に振りその時の女性だと分かりましたが
彼女は私のことは覚えていませんでした。

2年半前に1度会い少し話しただけで
会員もたくさんいますので覚えているはずがありません。

電車が池上駅に着きましたら彼女も池上に住んでいたのです。
下車後彼女と名刺交換しましたら彼女は勤め始めたばかりで
大手の食品会社に勤務していました。

その後通勤途中に彼女に会い電車の中で
ミス・インターナショナル日本代表に選出されていたことを
知らされたのです。

驚きましたが彼女なら当然と納得出来ました。
私の美人を見る目に狂いはなかったのです。
posted by 上杉鷹山 at 00:12| Comment(0) | 芸能 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月30日

イラン

初めてイスラムの国に行ったのはイランです。

イラン・イラク戦争の時でした。

日本からロンドン・フランクフルト経由で
テヘラン空港に午前7時頃に着きました。

そして入国審査の列に並んだのです。

同じ飛行機に乗っていたヨーロッパ帰りのイランの若い女性たちは
欧米の若者と同じような衣服でしたが

辺りを見回すとそのような女性は全くいず
彼女たちは真っ黒なチャドルを着て現れたのです。

周りには銃を装備した兵士たちが警備をしていました。

入国審査に信じられないほどの時間がかかりました。

入国者のトランクを一つずつ開けて調べていくため先へ進まないのです。

やっと私の前の英国女性の番になると彼女は下着などの衣服の入ったトランクを開け
検査官がトランクのあっちこっちに手を入れて調べました。

私も織物などの生地見本などが入った3つの大きなトランクと
100枚のデザイン画の入った大きなカバン
そして私の個人用のトランクなどを全て開けて調べを受けました。

検査官はJALの機内用雑誌まで取り上げて
1ページ1ページめっくって調べいき
有名な女性のテニス選手の写真に目が止まりました。

女性テニス選手は肌を露出していますので
検査官はそのページを全部破って雑誌を返してくれました。

それから一人一人別室に連れて行かれ持ち込むドルの金額を調べました。

当時イランでは外貨持ち出し禁止になっていましたので
出国する時にどれだけのドルを持って出るのか調べるためでした。

検査官が持ち込むドル金額をペルシャ語でパスポートに記入しておき
出国する時にドルが減っていれば問題ありませんが
増えていれば出国できなくなる可能性があるのです。

そんなこんなで時間がかかり私を待っていた会社の同僚に会えたのは
午後2時近くになっていました。

入国審査に約7時間かかりました。

空港からカルチャーショックで
それが私のイスラムの国との付き合いの始まりでした。
posted by 上杉鷹山 at 15:27| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月29日

ドイツ・ボンでの Small world(3)

私が30代の半ば頃の話です。

ある時私は会社の同僚から高校の同級生が
フルブライト奨学生としてドイツに留学するので
昨日送別会を開いたという話を聞きました。

それから4・5年後私はサウディアラビアのジェッダから
フラントフルク経由でベルリンに1週間出張しました。

ベルリンでの仕事を終えサウディアラビアに戻るため
ケルン経由でボンに行き
サウディアラビア大使館でビザの申請をしたのです。

ビザ発給まで1週間かかりますので
私はボンの町を見物して時間を過ごしました。

ある日町を歩いていましたら
突然金閣寺のポスターが目に入ったのです。

それはボン独日協会のポスターでした。

そのポスターには協会にご関心のある方は
参加くださいと書かれていましたので
2日後に私は協会の集まりに参加したのです。

協会の部屋には大きな日本地図が掛けてあり
日本の本がたくさんありました。

会員たちは日本の大学或いは政府関係やビジネスで
日本に駐在された方たちで全員ドイツ人でした。

私は会員の方から後から日本人が一人来ますので
紹介しますと言われました。

しばらくしてその日本人男性が現れました。

彼はボン大学の留学生(京大理学部大学院出身)でした。

そこで私は彼といろいろ話をしましたら
彼の友人も神戸で私と同じ貿易の仕事をしていると言うのです。

彼と更に話を続けましたら
どうも私の同僚ではないかと思えてきましたので

彼に友人の名前を尋ねましたら
まさしく私の同僚ではないですか。

目の前にいる留学生が以前私の同僚が
ドイツ留学のために送別会を開いてあげた人物なのです。

ドイツ留学といってもどの大学に留学したのか聞いていませんでした。

私がサウディアラビアのビザを申請するために
たまたま立ち寄ったボンに
留学していてそこで出会うとは驚きでした。

世界は広いようで狭いのです。
posted by 上杉鷹山 at 10:58| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月25日

ルフトハンザ航空の機長

昨年の12月のある日私は大阪・梅田のヒルトン近くにあるカフェ
シアトルベストコーヒーで知人と話をしていましたら
隣の席に30代ぐらいの欧米人の男性2人が座りました。

座ると1人はPCを使いもう1人は英語のガイドブックで
京都の観光地を調べ始めました。

私は2人の服装から判断しててっきり旅行者だと思いました。

しばらくして知人がトイレに行くために席を立ちましたので
隣の外国人に声を掛けてみましたら

2人はヒルトンに宿泊している
ルフトハンザ航空の機長と副操縦士でした。

少し話をしていたら機長が突然PCの画面を私に見せてくれました。

画面には赤ちゃんが床を這い回っている姿があり
機長が画面に向かって話し始め
PCから女性の声が聞こえてきました。

そしてこの子は私の子供で話している相手は奥さんとのことでした。

赤ちゃんはどこにいるかというと
フランクフルトの自宅だというのです。 

驚きました。

大阪の街角のカフェからドイツの自宅にいる
赤ちゃんの様子を見ながら
奥さんと話が出来るとは便利な世の中になったものです。
posted by 上杉鷹山 at 23:56| Comment(0) | 海外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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